中日新聞 2005年9月20日
この人に聞く
テーマ ニートを起業で支援
スローでも働く喜び
能力見つけ、触れあう
仕事をせず、就労訓練や教育も受けていない若年無業者「二ート」の増加が急速に社会間題化している。そんな若者たちの就労体験や交流の場として、大阪府高槻市で十月一日に喫茶店「カフェ・コモンズ」がオープンする。発案したのは、「日本スローワーク協会」という耳憤れない名前の民問非営利団体(NPO)。競争原理に基づいたファスト(速い)な働き方に代わる「スローな働き方」を目指すという、協会副理事長で店長の宮地剛さん(46)に狙いを聞いた。
(奥田哲平)
■協会を設立したきっかけは。
宮地 :昨年六月に東京のNPOが運営する「カフェ・スロー」で(後に協会理事長になる)水谷宏明さんと出会ったことです。引きこもりの若者たちを支援してきた私たちの任意団体を発展的にNPO化し、引きこもりや二-トの就労休験を兼ねたカフェを作り、働くことを問い直さなければならないと話し合いました。
■二ートは厚生労働白書で推定六十四万人。少子化の影響もあって日本経済を揺るがす問題になっている。
宮地 :彼らには働くことへの違和感があります。フリーターをしながら夢を探すことさえせずにです。そこにある希望のなさは何なのか。原因は意欲減退ではなくて、働くことの意味が見つけられないのです。成熟した経済杜会の病理だと思います。
引きこもりの中に二ートも含まれるのが実情でしょうけど、僕の知っている範囲では、彼らは働きたいんだけど社会に出て行くのが怖い。それは失敗するのが怖いということです。十五、六歳のころから十年問以上引きこもっていた二十七、八歳が、履歴書は書けません。行政は、そんな著者たちを良き労働者、良き消費者という今までの枠組みに戻そうとしているが、そういった働き方になじまないのが二ートです。働く喜びを問い直さないと、根本的に解決しないのではないでしょうか。
■「勝ち組、負け組」という二極化が進んでいます。
宮地 :僕は今、ほとんど収入がありませんが、パン屋をやっていた時より充実しています。自分の考えが実現する喜び、カフェを建てる工事現場で土を練る喜びがある。仕事の中に喜びを見いだしていけないと僕は面白くないんです。
一方で、社会全体の評価軸を起業する、の幅が狭まっていて、自己の理解、他者の理解も乏しくなっているのを感じます。勝ち組はホリエモンみたいなお金持ちで、単一的な価値観で発想してしまう。スローワークは今、単なる言葉でしかないですけど、そういう現場をどうつくっていくかです。具体的な働き方をつくっていかないと、「勝ち組、負け組」の評価軸には対抗できないでしょうね。
■ 協会の具体的な活動は
宮地 :三部門あります。引きこもりの若者を訪ねて引っ張り出すきっかけを作るニュースタートパートナー(NSP)事業、場所作りのスロースペース事業、そして共有地という「コモンズ」の意味通り、開かれた場所で誰もが参加できるカフェです。近代以前は互働的な経済が当たり前だった。それを今風にアレンジできればと思います。
カフエは、NPOの連携やコミュニティービジネスを起業する、地域通貨を広げる拠点にしたいです。また、ライブや落語会などのイベントを企画するつもりですが、それは若者がいろんな大人とふれあえるようにする意味もあります。
就労経験では、料理が上手な人は料理担当で、皿洗いから始める人もいる。入り口をたくさん作って、それぞれの能カを見つけてほしいです。根本的には、自分に何ができて、何ができないかというのは他者とのかかわりでしか分からない。他者への敬意を持った友愛的な人問関係を広げ.ていきたい。
■開店までの苦蛍は。
宮地 :資金が少ないので、設計を無料にしてもらったり、施工もNPOが協カしてくれたりと、有形無形で延べ百人以上.が参加してくれた。多くの大学生もいて、ある意昧で過程からすでに「コモンズ」なんです。
■現在の課題や将来の展望
宮地 :生活していけるだけの事業性を持っているかどうかです。理屈は良いが、絵に描いたもちでは意味がない。例えば、協会スタッフ同士で付き合っていたカツプルが今年結婚します。彼らが生活、子育てできる経済的基盤が実現できれば、スローワークが実体のあるものになる。地域通貨と合わせて給料を払います。将来はカフェに農産物を提供できるカフェでする拠点や高齢者のグループホームを農村に作って複合的に結びつけていく。一つのNPOではできないので、協会.がプラットホーム的な役割を果たしたい。
宮地 剛(みやじ・ごう)1959(昭和34)、大阪市東住告区出身。和歌山大経済学部中退後、3年間のアルバイト生活を経て、家業のパン店を継ぐ。大型量販店の進出に危機感を抱き、地域密着型の商店街を目指して2001年に地域通貨運動に参加。インターネット上の地域通貨「Q-Project」'代表。04年にパン店を閉めて現職に。